日本を出国して15-17時間の旅。一路古都チェンナイへ…
休憩もそこそこに、空港からさらに車で走ること約二時間。
整備された工業地帯の一角に「この工場」は存在します…
職人数は約30名と大きな工場ではありませんが、
チームワークと品質への意識がずば抜けて高い、熱意に溢れた工場です。
1990年に操業を開始して以来、アメリカ向けの墓石加工で腕を磨き、
現在に至るまで多くの顧客から厚い信頼を寄せられています。
そして、当社がお届けする日本向けのインド製墓石製品は大多数がここで生産されています。
日本から遠く離れたインドにも、中国までとはいきませんがいくつもの墓石加工工場があります。
私たちが協力工場を選定する基準は多岐に渡りますが、その中でも最も大切な事と考えているのが 「経営者の人柄」 です。
当工場の経営者は、強さ(責任力)としなやかさ(柔軟な対応)を持ち合わせた非常に魅力的な人物です。
彼はまた、インド石材業界の生ける伝説、当社インド最高顧問のハリダス氏と学生時代からの旧友でもあり、
この二人のパートナーシップによりインド各地の原石をこちらの工場へ搬入し、製品加工することが可能となりました。
また加工技術においても、他の工場にはない魅力を感じる工場です。
私たちは長期に亘り技術指導やテスト生産を繰り返し、この工場が持ち合わせている研磨技術や造形技術の高さ
そして何より仕事に対する意識の高さに惹かれ、当社のインド協力工場の一つとしました。
仕事に対する意識の高さを象徴する、こんなエピソードがあります。
初期の技術指導段階であった頃、私たちはこの工場では手磨きに韓国製のバフを使用している事に気が付きました。
まだ取引が始まっていない時期、私たちは価格の高い日本製工具に切替えてもらう事を依頼するには時期尚早と思い、
日本製のバフの方が良質だということを少し伝えただけでその場を後にしました。
…しかし、2~3ヵ月後に再度訪問してみると、事務所には大量の日本製バフが!
事情を聞くと、日本製の方が良質と言っていたので日本から購入して試験をしてみると、
本当に磨き具合に差が出たので、早速全部を取り換えようと思って購入したとの事でした。
まだ何も発注はしていなかったのにも関わらず、この対応の早さ。
私たちはその時点で、信頼できる工場だと実感することが出来ました。
その後、取引が本格化すると、新たに当社専任の管理者を数名配置、
末端の職人にまで指示がスムーズに行き渡るようになりました。
私たちは、まだこの工場を「完璧な工場です」とは…言いません。
しかし、現状に満足せず更なる高みを目指し、
お互いに協力し、成長しあえる工場であると確信しています。
検品員から叩き上げの彼。
業界歴20年以上。
発注書を受領し、注文の内容や単価をチェック。
その後、参考写真や資料を添付し工場事務員に申し送ります。
工場の最重要人物です。
全ての工程を把握し、適切な指示を与えます。
加工に関する知識が豊富なベテラン職人です。
メスリーとは職人頭を表す言葉で最高の呼称です。
ノミを打ち続けてその道二十数年のベテラン職人。
繊細な熟練の仕事で、むらなくきれいに仕上げてくれます。
アメリカで長年キャリアを積み、その際に顧客を得て帰印後、工場長モハン、原石のハリ氏と組み、工場を操業。
信頼できる人物です。
インド石材の黎明期から原石調達や製品加工に携わる。
最盛期のカラハリ、カルサヌール、ギャラクシー等の丁場を採掘、経営。人脈も広くインド石材業界の伝説。
JSCインド統括Sato。
石の町に生まれ育ち石好き。インド好き。
見た目はモンゴル系であり、よく、出入国検査で出自を訊ねられるらしい…
中学卒業後からハリ氏の下、石材の採掘に従事。
鍛え抜かれた眼力はあまりにも有名。
数々のスカウトを断り、現状もハリ氏の右腕。