印度阿育王塔から連なる壮麗の系譜。

お釈迦さまが入滅されてから約100年後の紀元前3世紀ごろ、インドの摩伽陀(まかだ)国に阿育(アショカ)王という国王がいました。王は若い頃、専制をほしいままにし、多くの尊い人命を奪いました。後に仏教に深く帰依するようになった王は若い頃の過ちを深く悔い、犠牲となった人々の供養と自らの滅罪のため、八万四千もの仏舎利塔をインド各地に建立しました。10世紀半ば、中国呉越の銭弘俶(せんこうしゅく)という国王は、阿育王の故事にならって八万四千基の塔をつくりました。仏舎利の代わりに宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納めた金属製の塔です。後に「銭弘俶塔」「金塗(きんと)塔」と呼ばれるようになったこの塔はやがて、石製のものもつくられるようになりました。日本でも鎌倉時代には、その形を模した石塔が登場します。今に伝わる宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。

宝篋印陀羅尼経を納入する塔なのでこの名をつけたようですが、後世は納経のあるなしにかかわらず、同じ形式をもつ石塔を宝篋印塔と呼んでいます。下から基礎、塔身(とうしん)、笠、相輪(そうりん)の4部構成が基本形。笠の棟先に隅飾(すみかざり)をそなえるのが宝篋印塔の特徴です。

現在、確認されている鎌倉時代の宝篋印塔は約90基。もともとは密教系の塔でしたが、次第に宗派を超えて流行し、その遺品は本州、四国、九州の各地に数多く残っています。私たち日本人にとっては五輪塔と並ぶ、昔からなじみの深い形式の石塔といえるでしょう。

一切如来
心秘密全身舎利
宝篋印陀羅尼経

唐の沙門、不空三蔵説いて曰く

経の書写、塔中に置く、一切如来の金剛蔵の卒塔婆とならん
また、一切如來陀羅尼秘密加持の卒塔婆たらん
香を炊き華供えれば、八十億劫生死重罪が一時に消え失せ
災いを免れやがては極楽に生まれ変わる

石造美術が華をなす鎌倉期の姿と技に範を戴き、
時ととけあう古よりビシャン叩き仕上げが石の素顔を暴く。

一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経

唐の沙門、不空三蔵説いて曰く。経の書写、塔中に置く、一切如来の金剛蔵の卒塔婆とならん。また、一切如來陀羅尼秘密加持の卒塔婆たらん。香を炊き華供えれば、八十億劫生死重罪が一時に消え失せ、災いを免れやがては極楽に生まれ変わる。
石造美術が華をなす鎌倉期の姿と技に範を戴き、時ととけあう古よりビシャン叩き仕上げが石の素顔を暴く。